エピソード2 ― ミヨリの朝
ふわふわとした小さな耳が、ゆっくりと立ち上がる。
小さなあくび、そして眠たげな鳴き声。
小さな子猫が、ぬくもりに包まれた寝床の中で大きく伸びをし、満足そうに丸くなる。
すぐ近くの浴室から、水の流れる音が聞こえてくる。
数日間の創作に没頭したあと、ミヨリはようやく心身を癒す朝の身支度を楽しんでいる。軽やかな鼻歌が響き、それに応えるように、春の花をまとった枝に止まる鳥たちが、空の芸術を愛する勇敢な合唱を始める。
柔らかな光に包まれたキッチンで、ミヨリはオレンジの花のジャムと、野生のレモンの木から採れた蜂蜜をたっぷり塗ったトーストを用意する。地元の生産者から届いた、特別な恵みだ。
テーブルの上には、湯気を立てるホットチョコレートと、旅を重ねてきたようなスケッチブック。その表紙には、丁寧な文字でこう書かれている。
ミヨリ
――とてもよく似合う名前だ。
優しさ、繊細さ、素朴さ、そして奥ゆかしさ。
もっとも、創作に向かうときだけは別だ。ミヨリは、決して手を抜かない。
少し大げさな「いただきます」のあと、ミヨリは勢いよくトーストにかぶりつく。まるで何日も食事をしていなかったかのように。
実際、それほど間違ってはいない。
その瞳には、日常の小さな幸せを味わう、伝染するような喜びが宿っている。
ホットチョコレートも、ゆっくりと味わいながら飲む。
一口ごとに、情熱的――時には執着的とも言える――長時間の作業で固まった身体が、少しずつほぐれていく。
ミヨリは満足そうに微笑み、静かに息をつく。
視線は、朝の涼やかな風に揺れるレースのカーテンへと向かう。
やがて意識は、青く澄んだ空をゆっくり流れる白い雲へ。朝日が、やさしく世界を照らし始めている。
このまま何時間でも、頭上に広がる大きな海のような空を眺めていられそうだ。
周囲の丘の高い草の中に寝転び、海から届く見えない風の波に、そっと撫でられながら。
そのとき、足元から小さな鳴き声が聞こえる。
「おはよう、ハナちゃん……」
ミヨリは身をかがめ、優しく声をかける。
「起こしちゃったかな?」
子猫は顔を上げ、もう一度鳴く。
「あら……お腹すいたの?」
ミヨリはそっと抱き上げ、少しのあいだ胸に抱いたあと、すぐにごはんを用意する。
ハナちゃんが夢中で食べる横で、ミヨリは荷物をまとめる。スケッチブック、使い慣れた鉛筆、そして小さな水筒。鼻歌は、まだ続いている。
自営業の若き画家であるミヨリの作品は、瞬く間に評判を呼んだ。
周囲に広がる豊かな自然を、敬意と忍耐をもって見つめ、その美しさを――文字通り、そして比喩的にも――どこか魔法のように昇華させる。その自然は街の誇りであり、人々はその繊細な豊かさを理解し、大切に守っている。
いくつもの気候が交差する場所に位置するこの街は、実に多彩だ。
田園、山、そして海。どれも、鳥が飛ぶ距離で数日もあれば辿り着ける。
この立地こそが、風景の豊かさと、毎年長く続く桜の季節を生み、国中から訪れる人々を惹きつけている。
まだ幼いハナちゃんは、長い散歩に同行することができない。
そのため、ミヨリは外出の際、近所に住むアカネさんに預けることが多い。
彼女はミヨリの大ファンで、創作に没頭するあまり時間を忘れてしまうと知ると、手料理をそっと玄関先に置いてくれる。
出かける前、ミヨリはハナちゃんにそっと口づける。
「夜になる前には、ちゃんと帰ってくるからね。」
少し不満そうな鳴き声が返ってくる。
ミヨリは微笑み、アカネさんに丁寧に礼を言い、最後にキッチンのフクロウの時計へ目を向ける。数日続いた慌ただしい夜のせいか、こちらもまだ眠そうだ。無理もない。
三日間、絵に没頭していたミヨリが今求めているのは、ただ一つ。
歩くこと。呼吸すること。凝り固まった身体を解き放つこと。
スケッチブックを手に、まだ桜が彩る風景を描くために。
扉は、静かに閉じられる。
ミヨリは軽やかな足取りで歩き出す。
海の気配と約束を含んだ風に導かれながら、次の小さな旅へと向かっていく。